クロストーク 「お寺で『ケア』を考えよう」
【発表者】
山下菜津美(ヨガインストラクター・ヨガ講師)
金田美香(れいらにの森)
辰野真里子(一般社団法人ニコウェイ)
【ゲスト】
新發田恵司(浄土真宗本願寺派 長願寺住職)
【 ファシリテーター 】
三浦紀夫(あかんのん安住荘館長)
クロストーク
2024年2月18日、大阪市平野区のあかんのん安住荘で、この場所を使って「こども」をテーマにした継続的な活動をしている三つの団体の運営者の報告を聴く会「クロストーク お寺で『ケア』を考えよう」が開かれました。
あかんのん安住荘は2022年、「地域共生とグリーフケアの聞法会館」をコンセプトにリニューアルオープン。2年が経過します。これまでに地域の方々の健康相談にのる「まちの保健室」「安住講(聞法会)」のほか、広々としたどこか懐かしい畳敷きの1階スペースを利用して、「こんなことがやりたい」と熱意と志を持った地域の方々に無料の貸館として活動場所を提供して参りました。
この日は、その中でも「こども」をテーマに活動している団体の報告をききました。当日は会場・オンラインで多くの方が参加していただきました。その模様を報告します。
なお、クロストークの前に打ち合わせがありましたが、そこでもみなさんが熱い思いを語っておられましたので、その部分も付け加えてクロストークを再構成する形となっています。
三浦:(開会のことば)あかんのん安住荘は、お寺ではないんですが、「お寺の原型」のような場所です。私は浄土真宗の東本願寺系列のお寺の僧侶ですが、浄土真宗ではもともと、「聞法」という形式がありました。みんなで集まって仏教の勉強をする形がどんどん発展して、今の「お寺」になったという歴史があります。その意味では、この建物を建てた方はお坊さんを招いて仏教のお話しをみんなで聴く活動を50年間毎月続けて来られました。これは今も「安住講」として続いています。だから、この場所は「お寺の原型」なのです。
安住荘は、お坊さんの話しを聴くだけでなく、地域の方々のいろんな活動に場所を提供して使っていただいています。今日はそのうち、三団体の方にどんな活動をしているのか、お話ししていただきます。というのは、
そのあと、「お寺」もしくは「お寺の原型」となる場所を使うにあたり、いい点、悪い点、どうしたらもっと使いやすくなるのか――などについて、「お寺」側のゲストも交えてざっくばらんに話し合えればと思います。なぜなら、私たちが取り組んでいるような地域に開かれた活動が、より多くの「お寺」に広がって欲しいという願いがあるからです。
【活動報告】
「おやこヨガ」(毎月第1・第3水曜日開催)
山下 菜津美さん
山下:私自身はヨガの講師として、大阪市平野区内でヨガを教えています。一般社団法人幸せな身体づくり協会の骨盤底ヘルスケアアドバイザーでもあります。「骨盤底筋」という、女性にとっては年齢にかかわらず大切な部分のケア・トレーニングを中心に、高齢の方にも地域の集会所等でヨガを伝えています。ここ安住荘では、あかちゃんと産後のママを対象にした「おやこヨガ」をしています。
私の思いとしては、「誰もが気軽に集まれる」ところを作りたいのです。それが各地のヨガの教室であり、おやこヨガなのです。
安住荘のおやこヨガには地域のママとあかちゃんが集まります。地域と言っても平野区に限らず、お隣の東住吉区や八尾市など、遠くからも車で来てくださる方もいらっしゃいます。どこからでも来てくださってOKです。
妊娠・出産・乳児の子育てという、女性にとって心身ともに大きな変化を経験するこの時期。私としては、ただヨガを教えるのではなく、身体や気持ちの変化、子育てのことなど、いろんなお悩みをちょっとでも誰かにお話しすることによって、気持ちが楽になって欲しい、リフレッシュしていただければという思いでやらせてもらっています。
また、お子さん同士の交流もできる場所になればと思っています。いま、ひとりで子育てしているママたちが外にこどもを連れて行くだけで大変。保育園や幼稚園に行く前に、公園などでこども同士がかかわる機会も少なくなっています。地域の「こども会」や「こどものお祭り」などの活動も、以前ほどは活発ではないかもしれません。おやこヨガを通じてお子さん同士の交流もしてもらいたいなと思っています。
私自身がこのおやこヨガを何故やっているのか。
私は3人のこどもを育てています。上の子は高校生になりました。初めてこどもを出産した十数年前、「ネグレクト」が社会の大きな話題になっていました。大阪市西区のマンションで、母親のネグレクトによって3歳と1歳のこどもが餓死するという痛ましい事件が起こったのです。そのニュースに接して、私はとてもつらい思いになりました。
私自身は、生まれて来たこどもがかわいくて仕方がありませんでした。大切に育てていました。同じママさんがどうして、こんなにかわいいこども達をそういう風にしてしまったのか。それを考えた時、やっぱり孤独だったのではないか。誰にも相談できなかったのではないか――という、ママさんの思いを感じました。そういうママさん達が集まれる場所。思いを吐き出せる、悩みを共有できる場所があれば――。そんな思いで、いま、ママさんたちが集まれる場所を創らせてもらっています。
その意味でも、ヨガというやり方は有効ではないかと思います。身体と心はつながっています。頭(理性)に働きかけるより、身体や感覚に働きかける方が、心のリフレッシュの早道だったりするんですよね。
私の最初の願いは「ネグレクトをなくしたい」ということですが、いまの子育て事情からすると、ママさんの誰もが多かれ少なかれ孤独を感じたり、心身ともに疲れたり、しています。この場所が地域のいろんなお母さんとお子さんの憩いの場であればと思います。
おやこヨガでは、ハロウィン(写真あれば挿入)など季節ごとのイベントもしています。
こども同士が交流できるし、ママさん達も「ヨガ終わったら、ランチに行こう?」などと、交流を持てているようです。関係が深まると、抱えている悩みが同じだと分かったりして、結構話しが弾むこともあるようです。
お子さんの手形をとってカレンダーを作るアート活動もしています。(写真あれば挿入)
ヨガの後にこうしたイベントがあることで、集客にもつながりますし、ママやこどもの思い出を作る機会にもなると思っています。
私の知人ら、伝手をたどって外部から講師を招くこともあります。アロマの先生を呼んで講習会も行いました。アロマって、五感のうち嗅覚という感覚、最もダイレクトに心に働きかける作用があるので、育児で疲れているお母さんに少しでもリフレッシュしてもらうことにつながります。
初めての試みとして、「夏祭り」「クリスマス会」も企画しました。(写真あれば挿入)コロナ禍でいろんな「祭り」が中止になる中、こども達はさみしい思いをしていました。こども達に「みんなで集まって楽しむ」場を提供しようと、手作りで開催しました。
おやこヨガは基本的にあかちゃんとママが参加。年齢の高いお姉ちゃん、お兄ちゃんは普段はメインではありませんが、こうしたイベントをすると、小学校低学年ぐらいまでの年齢の高いお子さんも参加できるので、普段はしないようなゲームや創作活動なども取り入れ、みんな楽しんでくれました。
おやこヨガでは、最後にお母さんのすねの上にあかちゃんを乗せて(写真あれば挿入)、ころんころんとします。お母さんの筋力を測るとともに、こどもとのスキンシップを取る場面です。こういう時に写真を撮ると、あかちゃんもすごくいい笑顔、お母さんも笑顔を見せてくれます。実は「お母さんがあかちゃんと『2人で』触れ合っている写真」って、なかなか撮ってもらう機会がないんですよね。なぜなら、お母さんがこどものカメラマンになることが多いからです。一番こどもと触れ合っているのに、ママとこどもの写真って、少ないんですよね。なので、おやこヨガではこのような親子の写真を何回かに一回撮影してお母さんたちに提供しています。お母さんが見返した時、「ああ、この子こんなに大きくなった」などと、思い出にもなるといいなと思います。
おやこヨガの参加者は、その年度の4月から職場に復帰するお母さんが多いです。毎年3月には思い出になるような写真(写真あれば挿入)と修了証を3月にプレゼントしています。産後、子連れでの毎回参加はやっぱり大変ですので、「私、がんばって通ったよね」と、お母さんの自己肯定感も高まるようです。
おやこヨガは概ね1年で終わりますが、この場で培ったつながりは生きていて、修了後も成長したお子さんを連れて、同窓会のように安住荘のいろんなイベントに参加してくださっています。つながりを保てるよう、平日だけでなく土曜日にイベントを開催する工夫もしています。
いずれにせよ、地域のみなさんに「あそこに行けば何かやってる! 楽しいところ」だと、この場所を知ってもらいたいなと思います。おやこヨガのとりくみは、毎年4月にはお母さんが職場復帰する等でいったんは卒業されます。新たに次の年度の親子を集客しなければなりません。
毎年、どうやってみんなにこの場所を知ってもらったらよいのかが悩みどころです。現在、SNSなどを通じて告知はしていますが、なかなか届いて欲しいお母さんには情報が届いていません。深刻な悩みを抱えているお母さんほど、自ら情報を探し、行動して何らかの居場所につながることが難しいと思います。
ですから、私が今考えていることは行政や社会福祉協議会との連携です。あかちゃんが生まれた家庭を全戸訪問する「こんにちはあかちゃん事業」、保健センターにすべてのあかちゃんがやって来る乳幼児健診(3か月、6か月、1年など)といった機会に、行政は困っているお母さんとあかちゃんを把握することができるはずです。その機会をとらえて「こんな所があるよ、行ってみたら?」と、私たちの活動を紹介してもらえたら。それ以前に、産院との連携もできれば、お母さんたちが妊娠・出産した時から、私たちの活動の伝えてもらうことができます。
そこが今うまく行っていない課題です。
最後に。私がヨガを通じて出会う子育て中のお母さんの身体はほとんどが、一瞬も休めない日々の子育てに、ガチガチにこわばっています。「今日は呼吸ができないくらい苦しくて」「腰・肩が痛くて」--と打ち明ける方が大勢いらっしゃいます。その時、私が痛む場所にそっと手をかけ、背中をこすってあげたりするだけで、お母さんたちはほっとして肩の力が抜けます。帰り際「すごく楽になりました」と言って下さる方も少なくありません。
ここに来ると、強張っていた身体も心もほぐれると、多くの方に知っていただきたいと思います。
身体と心はつながっています。身体がガチガチの時、呼吸も浅くなっています。緊張している時は自然と呼吸も浅くなり、リラックスしている時は呼吸が深くなります。知らず知らずのうちに緊張している身体をほぐしに来てもらって、リフレッシュできる場になればなと、思っています。
「れいらにの森(こどもを亡くした遺族のグリーフケア)」
(毎月第4火曜日開催)
金田 美香さん
金田:れいらにの森の立ち上げと活動についてお話しします。
私は精神保健福祉士で臨床傾聴士、スピリチュアルケア師。そして、もう一つの遺族会「はすの会」の企画をさせてもらっています。ヨガ療法士という資格を持っており、日本スピリチュアルジュエリー協会の理事もしています。
会の名前「れいらに」とは、ハワイ語の女性名で、「神様の(から授かった)こども」「天使(のように美しい)こども」「天から授かった大切なこども」といった意味があります。会のスタッフは宮川栄美子さん、大浦運代さん、濱中利子さん、私金田美香の4人です。
会ができた経過についてお話しします。
ここ、安住荘は、地域に開かれた地域共生とグリーフケアの聞法会館。地域の方のグリーフケアや、安心して各々の悲しみを吐き出せる場として運営されています。その活動の中で、孫を亡くされた祖母のグリーフケアと三浦館長の出会いから、ロールモデルともなる「下町グリーフサポート共和国」のような場づくりを目指して、こどもを亡くした遺族会「れいらにの森」が発足しました。
れいらにの森の遺族会では、大切なこどもを失った方々が集まり、同じような経験をした人たちと共に、哀しみや苦しみを分かち合って、それぞれの心の重荷を少しでも軽くすることを願っています。予約なし、参加費無料です。
遺族会を運営していると、参加者からよく「いつになったら元に戻れますか? 悲しみは消えますか?」ときかれます。遺族の多くは、心がどこか欠けてしまった。穴がぽっかり開いてしまった。自分の中身が空っぽだ――と感じる人が多いです。身体に欠損はなくとも、心が「身体障害」の状態だと言えます。
遺族は、もう変えることができない現実、喪失体験をしています。認めたくない、夢であって欲しいと思います。私も娘を亡くした当事者の一人ですからよく分ります。
悲しみはなくなりません。けれど参加者たちは、どうしようもない苦しみを抱え、でもどうにかして欲しいと、藁をもすがる思いで参加されます。
「(他の遺族の)経験をききたい」と言う方が多いです。親密な人との死別後間もない方が、他の(以前からの)参加者の経験を聴くことで、「自分も何年後にはああなれる」という希望を持つことができます。
遺族会「はすの会」の運営をして感じるのは、最近は参加者が来られる時期がとても早くなっています。私自身は遺族となった時、いわゆる遺族会的な場所を調べましたが、なかなか行けませんでした。ですが最近は(親密な人の死後)3日目、1か月後、3か月後に来られる方もいらっしゃいます。
遺族会の運営に携わるスタッフは、言葉の選び方に気をつけなければなりません。遺族会だけでなく、グループによるケアには、参加者同士の相性というものがあります。同じ言葉でも「誰に言ってもらうか」で、受け止め方が変わったりします。
遺族会に来る人は「いま」のこの苦しみ、悲しみをどうにかして欲しい。答えが欲しい。何かヒントはないかと求めています。ですから、中には(グループの中で)「あの人の話しはききたくない」と言う人も居ます。
例えば、スタッフが「悲しみはなくならない」と言い切った時。実は、この言葉には続けて「悲しみはなくならないが、その程度が変わることもあるし、出来事の読み替えが起こることもある」という趣旨のメッセージがあります。
でも、「悲しみはなくならない」という言葉をきいた参加者の様子を見ますと、多くがうなだれてがっかりされています。「いま」の苦しみをどうにかして欲しい人にとって、「この悲しみ・苦しみはなくならないのだ」と、その部分だけが強調されて受け止められたのかもしれません。
または、喪失を経験して一定の期間が経ったある参加者が言ったことに、まだ傷口も新たな別の参加者が傷ついてしまうこともあります。
そのようなことが起こったら、場の進行役、ファシリテーターがみんなをよく見て、即座に言い換えをしたり、後でフォローをしたり、することが必要となります。
「あの人の話しはききたくない」ということから、「もう(会に)来たくない」となると、その人の居場所がなくなってしまうことになります。それはとても残念です。
何かの事故で親密な誰かを失った場合、遺族は加害者に「怒りの矛先」が向きます。事故に限らず、病死であっても、医療者に怒りを覚える人も居ます。裁判になる場合は、(不当と感じられる判決をした)裁判官や、案件を担当した「やる気のない」(と感じられる)弁護士、検察官。あるいは、同じ喪失を体験したのに「温度差のある家族」にも怒りが向くこともあります。「(問題に目を向けない)社会」にも、当事者は怒りを感じます。
私の体験ですが、娘を亡くした時すぐに、何かのメニューを見せられるように、「葬儀社を選んでください」と言われました。なんて事務的なんだろうと思ったものです。検察からは「勝ち目のない立件はできません」と言われました。
「温度差のある家族」にも遺族は怒りを感じます。例えば、自分はすごく悲しくて泣いていて、もう生きていたくないと思っている。なのに、家族は仕事に行って普通に生活している、ように見えるといった場合です。このようなことから離婚に至る方も多いです。
仕事に行っている方の家族は「何かしていないと、どうにかなりそうだ」と思っているかもしれません。私も(喪失後)7日間お休みしてすぐ仕事に戻り、いっぱい予定を入れていました。
呆然として何も手に着かない。予定を詰め込み、忙しく働く。いずれも喪失の深い悲しみに遭えば当然の反応で、表れ方が違うのですが、やっぱり自分に余裕がないので、なかなか相手のことを思いやれません。加えて裁判になると、心も身体も疲弊して行きます。
そんな時に周囲から投げかけられる言葉にも、当事者は傷つくことがあります。言葉は、難しい。凶器になることがあります。
悪意のない親切心から出る言葉であっても、遺族は傷つきます。それを表立って反論したり、嫌だと言えたりすることがないので、さらに心も身体も、魂も疲弊して行きます。
例えば私は、お葬式の時に「あんまり泣いていると(故人が)成仏でけへんよ」って言われたことがあります。すごくびっくりしました。少し日にちが経つと、「元気そうやね」「だいぶ元気になって来たやん」などと言われることがあります。みなさんもそんな言葉がけを普通にすると思いますが、これは結構だめなキーワードなんですね。
というのは、遺族は自分を責めることがすごく多いので、悲しみが薄れることそのものに罪悪感を覚えることもあります。だから「私は元気そうに見えるんや。元気になったらあかん」と思います。
「元気そうやね」という声掛けはやめてもらったらいいと思います。
私が救われた言葉は(もちろん人によって違いますが)、「悲しみはなくならない。だけどつらいのは軽くなる」です。大前提として悲しみはたぶん死ぬまでなくなりません。でも、つらさは軽くなるんだ。そう思って、救われた気がしました。
遺族会には匿名で参加する方もおられます。自分の名前を言わないで、毎回違う名前を名乗って参加する方が居てもいいと思います。また、自分のことは言いたくない。だけど他の人の話しは聴きたいという方でも全然OKです。他の人の話しを聴くことも大切なことです。ただ、ファシリテーターはよく参加者を見ておくことが大切です。「今日はしゃべりません」と言う方でも、何か言いたそうだなと感じたらちょっと声をかけたりして、常に気を配っています。
「死んでしまったらいいのに」という言葉が、会の中で言われることがあります。例えばこどもさんを亡くされた方なら、他の親御さんのこどもさんに対して、心の奥底でふと、そう思った時。こんなことは絶対、世間では口にできません。でも遺族会では言えます。
遺族の心の中で葛藤が起こることはよくあります。この人は本当に心配してくれているのに、でもその一方で自分の中で何かがもやもやする。「自分の大切な人はもういない。でも、周りの人にはまだ大切な人はいる!!」「どんなに自分のことを思ってもらっているってわかっていても、それを受け入れることはできない」――。そんな、誰にも言えない気持ちを、遺族会では聴いて行きます。
妬みの発言が出たとしても、ファシリテーターは自分の倫理観や自分のルール、世間的・一般的な価値観でそれを評価してはなりません。滅私で人の話しを聴くことが大切です。
「記念日ストレス」もよくあります。私の場合は19歳で娘が亡くなったので、成人式を迎えられませんでした。なので、成人式がトラウマになりました。成人式の日にテレビが見られない、晴れ着の人は見たくないので外に出られないなどです。
伴侶を亡くされた方なら、結婚記念日。こどもを亡くされた方なら、私もそうですが、母の日。お父さんだったら父の日がトラウマになる方もおられます。クリスマスやハロウィンなど、一般に世間が華やかになる日に「なに浮かれてんねん」と思う方もいるでしょう。お正月やゴールデンウィークなど、一般に家族で過ごす行事ごと、イベントの日につらくなる方も居ます。遺族会でも「一人で過ごす正月です」などと、よく言われます。
遺族会では茶菓を出しますが、「私は要りません」と言う方もおられます。特にこどもを亡くされた方は「こどもは食べられないのに自分が菓子を食べてはいけない」とおっしゃることがあります。自分は幸せと思ったらだめ。笑ったらだめ――。と、思っている方が多いのです。
「お墓問題」も、遺族会でよく出る話題です。遺族の中には、大切なわが子、わが伴侶のお骨をなかなかお墓に入れられない方も大勢おられます。その時、周囲から「お骨をお墓に入れなかったら成仏せえへんで」「決まりごとだから守らないと」などと言われます。まだお墓に入れていないと聞いて、「お骨と一緒に寝てるの?」と言われることもあります。
ちなみにうちの子のお骨はまだお墓に入っていません。私は13回忌も過ぎたから、もうお墓に入れてもいいかなと思っていたのですが、私の父が「今お墓に入れたら、娘が直接知らない先祖ばかり。俺が亡くなったら一緒に入れてくれ」と。父が昨年亡くなったので、父と一緒に入れようかと言ったら、私の母が「そんなんしたらお供え置かれへんから、お父さんごはん食べられへんやん」と反対しました。だから、うちではまだ父も娘もお骨は実家に居ます。
「月命日の法要、毎月しないといけないんですか?」などと、法事や月命日のこと、お坊さんとの関係などもよく聞かれます。お答えとしては「ご自身がもういいと思ったらやめはったらいいし、やっぱりやらないと気になるなら続けはるしかないかな」という感じで、本人の気持ちを大切に、任せています。
弔いの場には人が集まりますが、大切な人を亡くしたあとは「人と会いたくない、人が集まるのは負担だ」とおっしゃる方も居ます。私の娘の場合は、法事や命日などの時、友人たちが親子でお参りに来られることも多かったので、その姿を見るのはつらいものがありました。どうしても法事が同窓会のようになるので、生きているこども達の姿を見るのもやはりつらいのです。7回忌を区切りに、私の気持ちを話してお断りしました。
人と会いたくないということで言うと、遺族の中にはつらい時インターネットを検索しまくる人が居ます。ネット上には情報が溢れています。例えばネット上にある「うつ」の診断チェックリスト。「眠れない」「ごはんが食べられない」…などと症状を当てはめて自己診断し、自分で自分に病名をつけてますます状態が悪化する方もおられます。ネット検索をしすぎるのはお勧めしないです。
私たちが遺族会を運営する時、心掛けているのは「沈黙を味わう勇気」です。グリーフケアに限らず、グループのプログラムではシーンと沈黙が続くことがあります。私たちは日常生活で沈黙が続くことに慣れていませんから、なんとなく言葉を発したくなったり、沈黙している人に声をかけたくなったりします。でも、沈黙の時間はその人が深く自分を掘り下げて考えているのかもしれません。ファシリテーターにとって、「待つ」ことは大切です。
死別という心の傷は怒りを産みます。「みんなが自分を攻撃する」などといった妄想も生まれます。特にファシリテーターは、参加者から「なんであんなこと言ったんだ!」などと、「自分が言っていないこと、やっていないこと」を責められることも少なくありません。それはその人がその時の精神状態でそう感じたことなので、私は否定せずいったん受け入れました。「私はそんなことはしていません」と否定する方法もありますので、どちらの方法が正しいかは分かりません。
できれば図22を添付遺族の心の中を図にしてみました。心の中にはトゲトゲがいっぱいです。底には穴が空いているので、心の器が埋まることはありません。
がんなどの病気で亡くなった方の遺族は、「西洋医学に頼り過ぎた、東洋医学を活用しておけば」、逆に「私が東洋医学を勧めたから…やっぱり西洋医学で手術いれば治ったかもしれない」などと悔やむこともあります。いずれにせよ、遺族の方は「ああやったら助かったかもしれない」と、自分を責めることが多いです。
遺族会では、無理に問い詰めたり、「それは違う」などと否定・批判したり、することはありません。遺族は自分の語りに対して、指導、批判、アドバイスは求めていません。みんなが安心して語れる場を創ることが重要なのです。「自分のこと」は何を話しても大丈夫です。喪失体験と関係ないことを話しても、同じことを何回話しても、すべてOKです。
他の参加者の話しを聴いて「自分だけではないんだ」と思っていただけたらと思います。「きれいごと」は言わなくていいんです。その時の正直な本音だけを言って欲しいと思います。
すべての参加者がなんでも安心して語れるよう、会が始まる前に「誰かの発言を否定せず、尊重する」と、互いに約束をします。ファシリテーターは遺族が誰にも話せず抱えている気持ちを話せるように心を配ります。「なぜそう思われたのですか?」「もう少し教えていただけませんか?」などという言葉で気持ちを引き出すこともあります。
ファシリテーターは常に自分の価値観・物差しに囚われていないか、自問する必要があります。語られてもいない当事者の気持ちを超えるようなことを想像して代弁したり、気持ちを勝手に決めつけたりすることがあってはなりません。
参加者の一人が発した言葉が別の参加者を傷つけることもあります。常にグループの様子を観察し、「今の発言は他の参加者にとって攻撃的・侵入的ではないか?」と思ったら、フォローの言葉を入れたり、話題を変えたり、することも必要です。
グリーフケアの役割の一つに「物語の作り直し」があります。遺族は、大切な人が居ない人生を紡ぎ直すという作業、「生き直し」に直面します。あなたの人生の舞台から、急に大切な人がふっと居なくなると考えてみてください。あなたは置き去りにされ、どうしたらよいか分かりません。もう居ない人、残された自分のこれから。それを整理することは一人では難しいです。一人で思いつめると、同じところをぐるぐる回ってしまうのです。そこで、グループのみんなに、支離滅裂でもいいから自分の話を聴いてもらいます。自分のことを語ることを「ナラティブストーリー」と言います。
グループの他の人の話しを聴いて、「私もそう!」と思ったり、「いつか私もそう思える日が来る」と希望を感じたり、することもあります。だから遺族会は必要なのです。
グリーフケアの過程で「喪の作業のチェック」をすることも大事です。他の人の話しを聴いて、「自分はここまではできているのかな」「そういう心境にはまだ至れていないな」などと、自分の現在位置が客観的に分かることも大切です。
悲しみが完結することはありませんが、遺族会で扱う各々のテーマは、亡くなって一年目、二年目、七回忌--と、その人の喪失体験から年ごとに変わります。その時々に、ご自身でご自身の気持ちをしっかり受け止めることが大事です。
グループであること、その時だけ起こるグループのダイナミクスを活かすことが、遺族会の利点です。参加者はみな、大切な人の死という不条理な体験をしています。喪失の時期が異なる「タテ」のつながり、「同じ喪失体験をした」ことでの「ヨコ」のつながりを創ることも、遺族会の役割の一つです。
遺族会では毎回が一期一会。同じことは起こりません。その時起こることを大切にしています。こういうタイプの人はこういう回復過程をたどるなどと、以前に出会った人の姿をいまに当てはめてはいけません。そのつどの参加者の語り、質問を活かします。一人が語り終わったら、ファシリテーターがコメントを入れたり、語ってくれたことへの感謝の気持ちを伝えたり、していますが、他の参加者からの一言、アドバイスが最も心に沁みることが多いです。その場では、スタッフは参加者一人ひとりが話したいことを話せているか、見て行くことが大事です。
亡くなった人はもうこの世に居ない、居場所はないと思っていた人でも、語りが進むと、各々に亡き人の「居場所づくり」をして行きます。残された人も悲嘆を抱えた生き直しができるようになります。
ファシリテーター(スタッフ)について。時に、参加者の語りを聴いて自分の体験が蘇ることもあります。私は対人援助の専門家である精神保健福祉士として、ファシリテーターは参加者たちのエネルギーに振り回されることは絶対にあってはならないと思っています。それは参加者の安全・安心を脅かすことにつながるからです。
熱量を落とし、ただその人の話しに心を傾けて聴くこと。往々にして、参加者の語りが自分に刺さる時は、そのこと自体がファシリテーター自身が抱えている課題とリンクしているのです。何が自分の心に刺さり、何が受け入れ難いのかを常に振り返らなければなりません。遺族会の後は毎回、ファシリテーターが振り返りをして自らの学びとしています。スタッフ同士が話し合うことで、個々が感じていた点と点が結びつき、線となってその人の全体像が見えることもあります。
スタッフ自身も、自分の気持ち・魂のケアをする必要があります。グリーフケアの実践をするにあたり、自分自身がしんどくなっていないか。スタッフ同士でケアをしています。スタッフ一人だけでは遺族会はできないと思います。
スタッフの研修に関して言えば、グリーフケアに関しては「これを学べばよい」というものはありません。スタッフこそ、日々の体験や自分の喜怒哀楽すべての感情を大切にしなければ、人をケアすることはできません。興味のある本を読む、映画を見る、なんでもいいんです。スタッフのファシリテーターとしての実践力を高めたいですし、グリーフケアについて一般的な理解も広げたいと思います。講師を呼んでの研修会など、私たちの研鑽や、グリーフケアの広報活動もより広く行いたいと思います。
れいらにの森の活動を通して見えて来た課題をご紹介します。
多くの人に遺族会の存在を知ってもらいたいと思いますが、インターネットを使った広報、チラシなどによる広報、いずれも十分とは言えません。「うちでチラシを置いてあげるよ」という場所があれば是非教えて下さい。
開催場所の課題もあります。「そんな場所があるなら近くの地域の方にどんどん足を運んでもらいたい」と思われるでしょうが、実は遺族の中には「知り合いに会いたくない」という方もおられます。遺族会には和歌山や奈良、より遠方から足を運ぶ方も居ます。遠くだからこそ参加できることもありますので、地域に限らず「この方、遺族会と出会えれば」と思う方がおられたら、住まいがどこでも是非私たちの会も紹介してください。
3月3日に「はすランタンワークショップ~てしごとから紡ぐ対話の時間」を開きます(ました)。写真あればはすランタンの映像を 誰しも何かを作る途中でと言いますか、手を動かしながらの方が、構えて話すよりも頭が空っぽになっていろんなことが思い浮かび、ふと自分の本音を話せるということもあると思います。はすの形のランタンを作りながらいろんなことを話すという企画です。もちろん遺族でなくても参加していただいて構いません。
こどもが幼くても、成人していても。亡くした年齢に関係なく、こどもを亡くすことは誰にとっても大きな悲嘆です。れいらにの森は身の置き所のないつらさの中におられる親御さんにとって、日常を離れて安心して気持ちを話すことができる場を提供したいと考えています。安住荘では多面的な支援を通して幅広いネットワークがあり、地元を中心とした多くの方々が出入りしています。是非、口コミ、紹介などで、目に見えないご縁がつながればと願っています。
「一般社団法人ニコウェイ(放課後学習支援&子ども食堂)」
(毎月第3木曜日開催)
辰野 真里子さん
私たちはこの場所をお借りして、学校帰りの小学生を対象とした放課後学習支援を行っています。当団体の活動の経緯ですが、もともと私が保育士をしていた時に、コロナ禍がありました。いろんなご家庭の大変な状況を知るにあたって、何か力になれる活動ができないかという思いから、この活動を始めました。
令和3年(2021年)、安住荘の近くの「ぐるぐるそだつながや」と言う、昭和の長屋をリフォームしたスペースをお借りして、「こども食堂イベント」という形で活動をスタートさせました。2か月に一度、カレーを中学生以下無料で平均120食程度提供。さらにフードパントリーという企業の余剰食品や、近隣の農家さんが届けて下さるお野菜などを、無料で配布しました。こどもさんが楽しめる「元気イベント」も開き、スーパーボールすくいや、綿あめ屋台、くじ引きなどの催しも開催しました。
安住荘では毎月第3木曜日、小学校から帰って来たこども達を対象に放課後学習支援をしています。対象は小学生・中学生。学習支援スタッフと一緒に宿題をして、18時から無料で夕食を提供します。
「ぐるぐるそだつながや」でのイベントの時にチラシを配布したところ、まずは2人利用者がいらっしゃいました。活動を続け、今は15人の小学生が利用しています。
利用条件は特に設けず、所定の申込書を書いていただければ、学校の宿題を持ってきてもらえたら、その日から参加してもらえる形となっています。食事の量だけ把握するために、参加できない日はお知らせいただきますが、何もなければ毎回参加するんだなと思って、食事を用意するようにしています。途中参加・途中帰宅もOKです。
ここに来たらまずは学校の宿題を終わらせることを優先にしています。宿題が終わったら、カードゲームやオセロ、おはじき、すごろくなども用意しているので、夕食までの時間は自由に過ごしてもらいます。創作が好きな子はこまづくりや糸電話づくりもしていました。クリスマスの時期はリースづくりなど、季節に応じて創作や遊びを提供しています。
ほかに、縁日や手作りシュシュなど、いろんなワークショップやイベントも、参加してくれているボランティアさんたちがアイデアを出して行っています。
午後6時前になると、夕食の準備が始まります。こども達はみんなで手を洗い、役割分担してお箸を配ったり、お水を配ったり。「手を合わせて、いただきます」も当番で掛け声をかけます。
ごはんは最初、お皿に取り分けて配っていましたが、食べる量に個人差があるので、最近はバイキング形式にして、自分の食べられる量を考えながら自分でお皿によそうようにしています。なるべくいろんな食材を食べて欲しいので、嫌いなものもちょっとは食べるよう、声掛けをしています。
この場所に来てもらったおとなの方も、配膳などのお手伝いをしてもらうということで、無料でこの場で食べてもらえるようにしています。持ち帰りのお弁当は中学生以下は無料、高校生以上は一食300円で販売し、活動費に充てています。
夕食後も時間があれば全員で遊べるようなフルーツバスケットや椅子取りゲームをして、こども達全員が交流できるようにと考えています。
このほかにも、夏は流しそうめん、クリスマス会などのイベントを随時開催しています。クリスマス会では、ファミリーマートさんにケーキを提供していただき、こども達みんなでデコレーション。クリスマスプレゼントも用意して、楽しみました。
「ぐるぐるそだつながや」時代から行っていたフードバンドリーを安住荘でも行っています。協賛・協力いただける企業・近隣の個人からリユース品や食品・衣類・玩具などを提供していただき、参加者に自由にお持ち帰りいただいています。
私たちの活動の周知方法は、各町会の会長さんに協力していただき、主に町会の回覧板と掲示板に載せていただいています。喜連地域全域の回覧板にチラシを挟み込んでいるので、地域の方からすると「信用ある活動」と思っていただいているのではないかと思います。
町会に入っていない方も多いので、私はアナログ人間で苦手ですがSNSで周知活動を頑張っています。ほかに、社協だよりや、Jcomのローカル番組など、活動の周知につながるようなことには積極的に出るようにしています。
最後に現状と課題です。放課後学習支援の活動も2年目となり、利用してくれるこども達も多くなって、少しずつですが地域に根付いた活動になったと感じています。課題としましては、団体の運営費を助成金に頼る部分が多くて。今後、活動を長く続けて行くためには助成金に頼らずに活動して行ける仕組みを考えないといけないと思います。
今後の展望としましては、いま、利用者がこどもさん15人と保護者の方、見学者、スタッフを入れて20数人が夕食を食べています。スペースの広さからもこの人数が限界と感じますので、現在は新規の受け入れをストップ。都合で来られなくなった子が居たらその枠を補充している状況です。
ここ平野区では、こども食堂の数が増えて来ていますので、それぞれの場所の食堂を利用してもらったり、学校、放課後デイを利用したり、いろんな場所にこども達が居場所を見つけて、少しでも一人でごはんを食べるこどもが少なくなって、みんなとかかわりながら育つ。そんな地域を実現したいと思っています。